費用対効果向上への取り組み
1. はじめに
労働党政権が97年に発足したとき、イングランドの医療システムは、世界の他の先進国同様、財政的に厳しい状況にあった。大局的にみると、高齢人口の増加による医療需要の拡大、医療技術の進歩による高コスト化などのコスト増要因に対して、システム全体の効率化と資金繰りが後手にまわったというのが、財政難に至った構図だ。労働党のブレア政権は、効率化と資金繰りの両面で、大胆な政策を実行した。本稿では、イギリス(イングランド)の医療制度の中で、特に効率化の取組みについて、1)医薬品のコスト削減、2)治療のコスト効率の改善、3)医療機関の効率化、4)医療提供体制の効率化、について議論を進めていく。
詳しい説明を始める前に、イギリスの医療のイメージを持って頂く為に、仮想的な患者さんの例を使って医療を疑似体験して頂きたい。
Aさんは、70歳で一人暮らし。中度の高血圧と糖尿病を患っている。地元のGPに定期的に通い、薬をもらっている。高血圧には、ベータブロッカーの後発品。注射が嫌いなので、雑誌で読んだ吸入型のインシュリンが使いたいとGPに相談したが、NHSの治療の枠内では保険がおりないと言われ、従来型のインシュリン注射を毎日行なっている。腰痛もあるが、GPに相談したところ病院に行ったり、薬を飲むほどではないと言われ、NHS内の理学療法師の手当てを月に1回受けている。痛みのあるときは、薬局で買った痛み止めを飲むこともある。3ヶ月ほど前、明け方にひどい腹痛に襲われ、不安になり、病院の救急外来へ行った。しかし、最初に対面した当直のGPに簡単な診察のあと心配するほどではないと言われ、数時間ほど観察ベッドで過ごした後に家に戻ってきた。帰り際に、看護婦さんからNHS電話サービスの番号渡され、今後同じような症状があったり、不安になったときは、病院に来る前に、その番号に電話を書けるようにと言われた。その後は概ね普通に生活している。
Bさんは、80歳。1 月前に、すい臓がんと診断され余命は後2 -3 ヶ月と告知された。保険適応内の選択肢として一般的になっている化学療法をうけるか、もしくは、緩和医療に特化するかを与えられ、家族と相談して、積極的な治療は受けないこととした。自宅で奥さんと一緒にひっそりと暮らしている。終末医療専門医の管理のもと、毎日、地元の保険組合の訪問看護士が鎮痛薬を投与するために訪問してくる。身の回りの世話のために、自治体からソーシャルワーカーが手伝いに訪れる。
これらの事例から読み取れるのは、医薬品の無駄使いを減らし、また可能な限り後発品で済ませる、必要がない限り病院へ行くことは避ける、終末医療の選択肢が早期に与えられ、患者と家族が議論し判断するなど、医療費の節約という発想が医療現場の医師、看護士、そして患者まで浸透しているということだ。この節約の発想は、Value for Money(値打ち)という言葉で表現されている。Value for Moneyの考えがどのように醸成され、どのような仕組みで支えられているのかを説明して行きたい。